
上映会に寄せて

いつもニコニコと笑顔で現場を和ませてくれていた山際さんが、突然逝ってしまわれました。その報せが余りにも唐突だったので未だに実感がわかずに、ひょっこりと顔を出してくれそうで、今も携帯の番号を消せずにいます。
私の30日間の不食の追っかけ映像も山際さんに相談したところ二つ返事で引き受けてくれて、息子のマリオくんを一月間現場につかせてくれたのでした。時々その様子を見に来てくれた山際さんの訪問を楽しみにしていたものでした。
山際さんのプロデュースされた作品にはそのお人柄が反映されてか、心温まる作品が多いと思います。人気のあるプロデューサーで忙し過ぎた無理が祟ったのはつくづく残念ですが、山際さんが生み出された作品は今後も永く人の心を打ってくれることと思います。ご冥福をお祈りいたします。
俳優 榎木孝明 Takaaki Enoki
山際さんとは、2005年に公開された映画「逆境ナイン」の出演の際に、初めてお会いしました。
映画出演の件も、台本もいい内容でしたし、とてもお人柄も良く、山際さんをはじめとする製作陣の熱意に動かされて、出演することにしました。
映像のことを語る時には、目を輝かせていらっしゃり、私も映像のことになると夢中になってしまうので、これから作っていきたい映画の構想のお話等、色々と共有させていただき、とても楽しかったのを覚えています。
山際新平さんの映像にささげた思いは、作品を通して、これからも生き続いていきます。
山際さんの最後となってしまったこの作品の上映会にあたり、私も、この作品をこれから見させて頂くのを楽しみにしておりますが、同じ映像界に生きるものとして、山際さんの思いをこれからも、私も、映画を見た皆さんも、皆が引き継ぎ頑張っていきますよ!とお伝えしたいです。
俳優・武道家 藤岡弘、 Hiroshi Fujioka


山際さんと一緒に仕事をした10年間。二人でよく映画会社やテレビ局に企画を持ち込みました。当初なかなか上手くいかなかったのですがお互い腐ることはありませんでした。自分たちの作品がいつか認められる日が来ると信じていたからです。それから数年後、仕事が次々と決まるようになり、打ち合わせの帰りは彼が品川まで送ってくれました。その日は少し疲れた様子だったので心配して声をかけたのですが、「僕は大丈夫、児島さんこそ倒れないでくださいね」と、いつもの人懐っこい笑みを浮かべました。その時の彼の横顔が今でも忘れられません。結局、それが最後となりました。
彼が逝って1年半になりますが、これくらいの歳月では彼を失った喪失感は消えないんだなと、実感しています。
脚本家 児島秀樹 Hideki Kojima
山際さんとは2011年沖縄で撮った「琉神マブヤー」からのお付き合いです。
それから「私の人生」「校歌の卒業式」と続いてテレビの「温水危機一髪」という番組で演出を任せていただき、「スクール・オブ・ナーシング」「メッセージ」と続くわけですが、山際さんとはまだまだやる企画がいっぱいあって、でも時間が無かったり出資者が決まらなかったり。でも山際さんはいつもニコニコしながら「足立内、いい作品を作り続ければきっといい風が吹いてくるから、予算が少なくても時間が無くてもじっくりそれを信じてやっていこう」と言っていました。
地方で撮影することが多かったのですが、どの作品も『その地方らしさ』を一番に考えている人でしたね。「校歌の卒業式」の時に伊勢で昔からの仲間と共に、生まれ育った土地で映画を撮るということがどんなに楽しいことか、それを教えていただきました。山際チルドレンのひとりとして、これからも山際さんから学んだことを伝えて行こうと思います。
映画監督 足立内 仁章 Satoshi Adachi


何でだろう……今も、ふと思う。
何で、ヤーミーは僕の事を気に入ってくれてたんだろう……。そして、笑っちゃうけど、
何で僕とヤーミーはどんなレストランでもオーダーが被ってしまったんだろう……。
カップルで賑わうお台場のイタリアン。前菜からデザート、ドリンクまで。もちろんメインも同じ。あの時は恥ずかしかったな。だから映画の好みも合った。だから、いつしか同じ会社で一緒に作品を創れたのは本当に幸せだった。ずっと最後まで共にする仲間が出来た。そう思ってた。
でも、何で、先に逝っちまったんだろ……
何で、沢山の人に求められていたヤーミーが僕なんかより先に…………
あるプロデューサーが葬儀の時、僕に言った。「お前みたいな演出家を雇う奴は他にはいないな」
確かに、その通り。何でだろう……今も繰り返しそう思う。
映画監督 宇井 孝司 Takashi Ui
山際さんの事を思い出すと、全てがプッと吹き出してしまうような思い出だけが浮かびます。 耳をすますと、これまたプッと吹き出してしまうような、山際さん語録が聞こえてきます。
山際さんは、本当にお世話になったプロデューサーさんです。 一緒に作らせて頂いた映画は1本ですが、学ばせて頂いた事は沢山あります。 背筋がピンとなるというよりも、思わず吹きだしてしまう事が多く、そんなところが素敵な方でした。 人生をポジティブに生きていこうと決めている僕にとっては、山際さんはその先駆者で、先導を走るペースメーカーでした。
願わくば、もっと走って、サボりながら歩いても良くて、僕のような半人前の映画監督を一人前にして欲しかった。 一人前になった僕の姿を山際さんに見せて、逆にプッと笑って欲しかった、そう思っています。
亡くなる少し前、一緒にお食事をした時の話、鮮明に覚えています。 その時の話も山際さんらしいと言えばらしいのですが、数年前に一度入院されているし、心配なので突っ込んだのですが…遠慮せずもっと突っ込めばよかった、悔やんでも過去なので戻りません。 それでも山際さんは、天国でもニコニコしているんだと思うと、やっぱり僕もプッと笑ってしまうんです。 ありがとうございます、山際さん。 これからも一人前目指して、俺、適度に頑張ります。
映画監督&脚本家 松本卓也 Takuya Matsumoto


山際さんは、いつも明るく、自分より相手を想い、山際さんがいるだけでみんなが自然と笑顔になる、太陽のような存在でした。私は山際さんが手がけた映画、「キボウノトビラ」がデビュー作になるので、山際さんのおかげで今の私があると思っています。
山際さんは弱音を一切見せない方でした。それ以上に今の仕事がとても楽しいといつもおっしゃっていました。そして、地元のこともとても愛していました。
今回この上映会のお話を聞いて、私自身の地元でもある伊勢での上映会をすることを大変嬉しく思っております。山際さんは、より一層喜んでいることと思います。
本当にありがとうございます。
「命」とは何か・・・。ぜひ皆様お足をお運びくださいませ。
女優 桐島ココ Koko Kirishima
山際さん、そちらは居心地いい感じかな?
あなたとは三年くらいの付き合いで、年齢も殆ど同じでした。だから、あなたの過去のキャリアやどんな風にそうなったのかとか、お互いに知らないで、なんか僕は一緒に仕事をしてみたかったから、山際さんをバーに誘ったりもしましたよね。僕の音楽CDをちゃんと聴いてくれて、お世辞じゃなく評価してくれたのは本当に嬉しかった。スクールオブナーシングを手始めに、一緒に仕事する計画でした。だからね、僕はもっと良いところを見せたかったのですよ。コレデモカッてね。
いま、時代が決して良い方に変わってる感じがしなくて、本当に信頼に値する人が居なくなって。つまり、山際さんにやっと出会えたのに……僕は試練ですよ。
児島さんを守ってくれてると思うけど、僕もよろしくお願いしますよ。
死んだからといって、まだまだ山際さんの出番はありますから。
作曲家 丸山和範 Kazunori Maruyama


山際プロデューサーという人は、私にとって作品を作り上げる上での伴走者であり、仲間であり、恩師です。
それまで全く経験のなかった映画主題歌の書き下ろしというチャレンジをさせてくださった山際プロデューサー。出来上がった曲をドキドキしながらお送りすると、わざわざ電話をくださり、「詩菜さん、すごくいいですよ。」とおっしゃっていただけた時には、本当に嬉しくて。こんなに素晴らしい映画と映画に関わる皆様と出会わせて頂いた事、この曲を書かせて頂いた事が何よりの財産です。
生前、この映画を口コミによって永きに渡り愛される映画にしたい、とおっしゃっておりました。
その夢の続きは私たちにバトンが託されたようです。
微力ながら私もその力になれるよう、頑張ります。


